●歴史
志賀泉酒造は、昭和35年(1960年)に信濃中野税務署管内の 蔵元11社が集まり、清酒共同瓶詰場として発足致しました。 この事は、昭和34年に信濃中の税務署長に就任された 上野(旧姓)雄二署長(当時28才)が 「11社で共同瓶詰場を立ち上げ、それぞれの酒をブレンドして 関東方面へ出荷したらどう。」 という提言に賛同し発足致しました。 初代社長の松山新兵衛氏の叔父が技術系では初めて サッポロビールの社長に就任されており、そのサッポロビールと 日本橋の国分商店との関係で国分商店さんを通じ関東の問屋さんへ 出荷する事ができました。
●歴史
志賀泉酒造は、地元の人たちに愛される酒造りに取り組んでいます。 この土地の気候風土に適合した地酒作りを心掛けています。
酒米は、木島平産「ひとごこち」と当蔵の社長自ら栽培する 「山田錦」を使用しています。
日本酒の80%を占める水は酒の命。 命の水を追い求め、あちこちの水を試してきましたが、平成21年(2009年)に 木島平村にある龍興寺の湧水(平成の名水百選)にたどりつきました。 水を替えてからは、抜群に酒が旨くなり 「少し香りがあって辛過ぎず飲み飽きしない酒」を目指し、 これからも地元産にこだわりながら酒の中身に磨きをかけ、 日本酒文化を盛り上げていきます。 又、3年前より木島平村の人たちと共に雪を利用した雪中貯蔵酒を手がけ、 好評を博しております。
●太宰治と志賀泉
志賀酒造発足のきっかけをつくっていただいた上野雄二署長は、その後、 小説家「太宰治」の長女「園子」さんと結婚され、津島雄二(本名:津島修治)となられ、 昭和51年に青森県より衆議院選挙に出馬当選され、その後、厚生大臣に二度就任されました。
● 中山晋平と志賀泉史
現在の代表「中山 治」の祖父は、島村抱月の書生になり、東京音楽学校(現:東京芸術大学)を 卒業し、大正3年に「カチューシャの唄」を作曲し、その後、 童謡:「シャボン玉」・「てるてる坊主」・「砂山」等々。 流行歌:「ゴンドラの唄」・「船頭小唄」・「東京行進曲」等々。 約1770曲の作品を残した「中山 晋平」です。
- 社名
- 志賀泉酒造株式会社
- 創業
- 昭和38年
- 資本金
- 4000万円
- 代表者
- 中山 治(ナカヤマ オサム)
- 杜氏
- 中山 佳紀(ナカヤマ ヨシキ)
- 事業内容
- 清酒、焼酎及び関連商品の製造、販売
- 所在地
- 〒383-0024 長野県中野市東山 3番1号
- TEL
- 0269-22-3322
- FAX
- 0269-22-3227